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デサントの新中期経営計画──再び目指す成長路線(中)
新たな高収益体制の構築を模索

update: 2019/09/03

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赤字体質脱却のきっかけになった2000年代

近年の高収益体質は、2000年代にその基礎が構築されたと言ってもいいだろう。2002年6月、飯田社長の後を引き継いで新たに社長に就任したのが、田尻邦夫氏だった。飯田氏と同様、伊藤忠商事の出身だ。田尻氏が社長に就任する直前の2002年3月期は、連結売上高644億4,100万円、営業損失24億5,300万円、経常損失24億9,100万円、当期純損失30億4,200万円という厳しい状況だった。

田尻社長(当時)は国内の無駄を削減し、「出血を止める」(田尻氏)一方で、新しい成長エンジンである韓国ビジネスにも注力し始めた。翌2003年3月期には、売上高は623億2,700万円と減収したが、経常損失が2億4,300万円と損失の幅が縮小。その翌年の2004年3月期には、連結売上高638億600万円、営業利益16億1,100万円、経常利益15億7,600万円と黒字回復を果たした(個別でも黒字化を達成)。

国内の構造改革もドラスティックに断行したが、その一方で大きな成長エンジンとなったのが、韓国ビジネスだった。しかし当時、田尻社長はデサントの財務状況を「まだ集中治療室から出たばかりの状態」と表現し、企業に体力を付ける必要があると語っていた。余談だが当時、将来有望な社員として、田尻社長に抜擢されたルーキー達が今春、退任した旧経営陣の主力メンバーだった点は、興味深い。

その後、一時的に減益という局面もあったが、順調に収益性を高め、4年後の2007年3月期には、連結売上高750億9,400万円、経常利益32億1,600万円にまで業績が回復した。また、2003年度の海外売上高は65億円(内アジアが46億円)、3年後の2006年度には同173億円(同147億円)にまで拡大している。その急成長のけん引役となったのは、主に韓国ビジネスによるものだった。(続く)